大阪生まれの不器用男が北海道で写真を撮影する何故
【My Story】
episode:10 北国での苦悩と広大過ぎる自然
まず私が札幌店に配属される条件が「車の運転」でした。私は上京してから移動の際は電車とバイクで事足りていたこともあり、車の免許を持っていませんでした。
そこで私は、溜まった有休と公休を消化し、1か月弱の休みを頂き、教習所の短期集中コースに入り、2週間で車の免許を取得します。
そして4月1日より、札幌店での勤務がスタートします。当然ながら札幌店にもチーフフォトグラファーがいて、必要ないのに東京からチーフフォトグラファーが来るわけですから、私の通常業務がありません。
異動させて頂けただけでも感謝でしたので、私は入社した頃と同じアルバムの検品や発注などを行う部署に配属されます。
東京での忙しい日々とは違いゆっくりと時間が流れていくのを感じましたが、そもそも一番の大きな違いは気候もさることながら、撮影の件数が東京に比べ圧倒的に少なかったのです。
私は仕事のペースに急ブレーキがかかり、撮影の機会が半分以下になります。
東京では指名のフォトグラファーに選ばれていましたが、札幌では「北海道のサンプルがない」という理由から、その後1年半指名のフォトグラファーから外れる事になります。
それは撮影の機会が減るという事も指しますが、同時に当時の給与体系は撮影手当てによって成り立っているところもあったので、撮影の機会が減るという事は給与が激減する事を意味します。
いくら東京よりも家賃が安いとはいえ冬は暖房費が跳ね上がり、食費も安いわけではなく、その時の給与で家族4人の生活をまかなう事が非常に厳しく、生活は困窮します。
結婚式本番撮影や、前撮り撮影の数が減り、生活は困窮するものの、それまで仕事ばかりだった私は家族と共に過ごす時間が増える事になり、休みの日には北海道の美しい自然に家族で出かけ、広大で美しい北海道の景色に魅了されていきます。
今思えば生活が苦しかったものの、美しい自然の中でのびのびと過ごす子供たちと過ごす時間は、私の人生にとって何にも代えがたい、かけがえのないものとなりました。
そして札幌店に異動して北海道での初のロケーション撮影は、帯広千年の森。
そもそも東京でのロケーション撮影は花形の撮影であった為、私がロケーション撮影を始めたのが遅く、合計でまだ10回も撮影していないような状況で、且つロケハンもろくにないまま、「どうぞ撮ってください」と撮影が始まるのです。
ただ広い草原の上に立つ新郎新婦を前に私は頭が真っ白になります。
「いや、広すぎ・・でかすぎ・・」
東京と違い高い建物など一切なく、空は高くどこまでも大地が広がっているのです。
東京では無駄な背景が多く、ビルなどが写り込み事が多い為、「どう切り撮るか」がポイントでしたが、北海道では「お好きにどうぞ」的な、どこを切り撮っても良い分、バリエーションが無限にあるのです。
そして太陽光が本州よりも強烈で、快晴の日は強烈な影が出ます。ここで私は北海道のロケーションフォトの撮影の難しさを知る事になります。