大阪生まれの不器用男が北海道で写真を撮影する何故
【My Story】
episode:11 厳しい現実
北海道でのロケーション撮影の難しさを痛感した私は、ロケーション撮影の猛勉強を始めます。
当時はフォトグラファー同士で、撮影担当とアシスタントを案件ごとに交互に行うようなスタイルでしたので、先輩のフォトグラファーがどうやって撮影しているかを、使用レンズや立ち位置、光の使い方など細かくチェックし研究を重ねます。
そして当時は検品や発注を行う部署でフォトグラファーから納品されてきたデータのチェックも行う担当だった為、仕事の傍ら細かくデータを分析します。札幌に来て1年が過ぎる頃には自分のスタイルも徐々に出来上がり、しばらくして指名のフォトグラファーにも復帰します。
しかし東京での要職から外れた私は、徐々に会社全体の中で立場が薄くなっていき、全国のフォトグラファーミーティングにも呼ばれないようになります。
そして翌年、撮影したロケ写真の、コンテストというか評価点数を競い合うシステムが社内で始まります。応募社員の全体の中から上位10名に選ばれると、新しい海外撮影プランの撮影に参加できるというものです。
私ももれなく応募するわけですが、まだまだロケーションフォトに自信がある訳ではなく、まず自分が選ばれることはないであろうと思っていました。しかし結果、下の方ではありましたが上位10名に入る事が出来たのです。
自分でも信じられない結果で、正直に言うと恥ずかしいですが、その時は喜びました。
会社での立場も薄くなっていたので、少しずつここから盛り返すことが出来るのではないかと思ったのです。
この話を聞いて、普段あまり私を褒めたりする事のない妻が、「おめでとう」というプレートのついたケーキを買ってくれたのです。
翌日この話の詳細を聞くためにすぐに上司に連絡をします。
「自分はどこの国の撮影に行けるのですか?」
すると上司はもごもごしながら「あれ実は上位10名じゃなくて上位5名なんだよね。ごめん。」という訳です。メールを見返してもしっかりと上位10名までと書いてあります。
納得が出来ずもう一度電話しその旨を伝えると、あれはミスだったごめん、と言うのです。
札幌店の先輩社員も、私と同じような順位で上位10位に入っており、抗議をしていました。
納得は出来ないがミスだったと言われれば仕方がないので納得するしかないのですが、しばらくして札幌店の先輩社員は、その海外撮影に参加する事になった事を聞きます。
状況が飲み込めず、再度上司に問い合わせると、君は英語が話せないから何かあった時に困るからと言うのです。しかしその海外撮影チームには英語が話せない人が沢山います。
それについて食い下がるもはぐらかされ、また別の海外プランに誘うからと言われるも、そのまま声がかからず時間が過ぎます。
その撮影はどんどん盛り上がっていき、札幌店の先輩社員もどんどん海外の撮影に出かけます。
そんな中、当時東京店の後輩が札幌店に店長として赴任する事になります。私の後輩が上司になる訳ですから複雑な気持ちではありましたが、彼が来たことによって随分心が楽になった事を覚えています。
私は札幌店に来て3年目になっていましたが、相変わらずアルバムの検品や納品をアルバイトの人たちと行います。私が東京で教えていた後輩や、生徒達は3年経ってどんどん頭角を表して人気のフォトグラファーに成長していきます。
私はその年札幌店で撮影の指名件数が1位になる事が出来たのですが、メインの仕事の立ち位置は変わることなく、全国の集まりにもやはり呼ばれません。
私は気づくのがとても遅かったのですが、もう私はとっくの昔に干されていたのです。
ですがいくら家族の事情とはいえ、異動にあたり多方面に迷惑を掛けてしまったことを考えれば、仕方ない、と考えるようになります。
そんな中、私の師である経営者が退社する出来事があったのです。ここに詳細を書く事は出来ないですが、私の師が会社を去る事に大きなショックを受けます。
経営者のメインが変わるわけですから、当然会社の方向性も変わり始めます。これは致し方ない事なのですが、徐々に私の考え方とはずれが生じます。
私が入社時に感じた、「感動」「生命」「躍動」、ここからはずれていくように感じたのです。
会社から重宝される撮影スタイルは、トレンドを取り入れ、斬新なアイデアも増え、一言で言えばカッコよくファッショナブルになっていったのですが、私が憧れていたスタイルとは時間が経つ程に変わっていったのです。それが悪い事と言っている訳ではありません。
ただ、私はそこに虚しさを感じたのです。