大阪生まれの不器用男が北海道で写真を撮影する何故
【My Story】
episode:4 上京と東京生活
またも目標を失ってしまった私は、自暴自棄に近いような状態で、大阪での全てのバンド活動を中止します。そして東京での音楽活動を誘ってくれていた友人を頼りに2002年に上京する事になります。
しかし、その友人は本格的な音楽活動の経験がある訳ではなく、専門学校で勉強をしてバンド活動を長年やってきた私とはレベルの差を埋めることが出来ず、そこでも完璧主義になっていた自分はその友人を認めることが出来ず、たった3か月で何も残せないまま解散する事になり、その友人は東京を離れます。
私はその彼に対し、そこでも沢山酷い事を言ってしまったのではないかと後悔するようになります。私は当時東京には他に友人が一人もおらず、その時に初めて私の周りに誰もいない事に気が付きました。
東京では音楽活動に専念するために、家賃3万円のアパートに住み、共同トイレ、風呂なしの生活をしていたので、音楽活動がなくなれば、ただ知らない土地の安アパートに住み、アルバイトをする日々。
大阪での生活から東京に来てたったの3か月で一気に生活が一変したのです。
よくある話ですが、大阪で育った自分には東京の人達が冷たい人達に思え、誰も周りに友達や家族がいない環境で、途方もなく孤独を感じることになります。
そしてアコースティックギターを買って、自分で曲を作ったり、歌詞を書いたり、ドラマーだった生活から見れば血迷った生活がスタートします。自分でも何がやりたいのか何を目指しているのか、さっぱり分からないのです。
当時私は多摩川の近くの街に住んでいたので、やる事がなくよく多摩川に出かけていました。そして堤防に腰をかけてぼーっと過ごし、自分の無力さ、後悔、懺悔、そんな気持ちに支配されてしまい、自分などもう生きていても意味がないと考えるようになります。
ドラムの演奏もせず、アルバイトをして、そんな状態が半年近く続きました。
ある時、深夜に一人で大酒を飲みながら多摩川に向かいます。
もしその当時の私の周りに誰か人がいれば、ただの不審者に見えていたと思いますが、深夜の多摩川の河川敷をウィスキーをラッパ飲みして、泣きながら歩いているわけです。おかしい人ですよね。
そして酔っぱらって転んだ時に、地面を見て私の周りが初めて薄明るい事に気が付きます。
その時はもう号泣していました。
私はその場でそのままゴロンとひっくり返って、地面に寝転がります。
見上げた夜空は満月でした。
その時に何故か分かりませんが、「生きよう」と思ったのです。
その日を境に、私は東京の人々と距離を縮めるようになります。自分とは全く違う人生を歩んで来たであろうバイト先の東京の大学に通う大学生と友達になったり、銭湯で集団の学生に声を掛けられ、そこでも友達になったり。
要は私は自分から東京に住む人々に勝手に壁を作ってしまい、孤独になっていたのです。
それからは私が血迷いながら作曲した曲を大学生相手に歌ったり、その大学生が通う東大の講義を遊び半分で受けに行ったり、大学のサークルに混ざって正月に神奈川の海に寒中水泳に行ったり。ただバンド活動だけをやっていたら味わう事がなかったであろう、まるで大学生の様な生活を少しだけ味わいました。
それから私はアコースティックギターを置いて、またドラムでバンド活動を始める事になります。