大阪生まれの不器用男が北海道で写真を撮影する何故
【My Story】
the final episode : 新たなる決意
変わり続ける経営スタイルに私だけでなく、他の社員もついていけなくなり始めます。
求められるスタイルは、斬新で、ファッショナブル。もちろん社員は沢山いるのでそればかりではないのですが、2017年になる頃には私はすっかりついていけなくなりました。
相変わらず要職から外されている私は、意見を上げる事すらできず、黙々とアルバムの検品や発注に励みます。
東京の後輩たちの活躍は日に日に聞く機会が多くなりましたが、私は遠い世界の出来事のようにその話を聞くようになりました。
その年後輩の店長が札幌店を離れる事になり、東京店の店長を任されることを聞きます。
東京店の仕事は本当にハードで、私から見ると彼は真面目過ぎて全部の仕事を引き受けてしまうから、東京店の仕事は本当に無理をしない方が良い、体も心も壊れそうになった時は仕事を辞める選択肢だってあるという事を告げます。
彼が札幌店を去った後も、私は相変わらずアルバムの検品と発注を続けます。海外の撮影チームは相変わらず盛り上がり続け、東京の後輩たちはさらなる活躍を続け、その活躍を横目に、自分は空気のような存在だと思うようになりました。
「仕方ない事」「迷惑を掛けたんだから当たり前」
そう自分に言い聞かせていましたが、このままでは空気のような存在の自分は、やりたい事が何もできないまま人生が終わる、と感じるようになります。
もちろんその時はまだ30代半ばで、そんな年齢で人生が終わる事なんてありませんし、若くはないですがまだ何度でもやり直しがきくような年齢です。
その年も沢山のお客様から私へのご指名を頂き、その事が私の取っての心の支えになり、活力となっていました。
しかし空気のような存在になってしまった私は、誰の目にも留まっていません。見えているのかもしれないけれど見えない事になっていて、いるのかいないのか分からない過去の人。
客観的に自分をそのように見つめます。
「仕方ない」のは分かっていました。これは本当に誰のせいでもないし、誰かが私に悪い事をした訳でもない。私にとって、これまで関わってくれて頂いた方たちは先輩、後輩、男女問わず、みんな愛おしい人なのです。誰かのせいにすれば楽なのですが誰のせいでもない。
ではどうするのか。
これまでのエピソードで述べてきたように私の人生は一筋縄では行きませんでした。
正にジェットコースターの様な人生で、幾度も悲しい別れを経験し、幾度もひどい過ちをし、幾度も人を傷つけ、幾度も挫折を味わいました。
きっと自分にしか出来ない事があるはず。
自分の思いを形にして、立ち上がろう。
そのように静かに決意を固めたのです。
20018年、年明け早々に退社の意向を伝え、9月よりフリーランスフォトグラファーとして活動を始めます。
ONE STORY Photo worksはこのようにして始まりの時を迎えるのです。