Profile
プロフィール
Story
ストーリー
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スポーツと絵に打ち込んだ少年時代
ドラゴンボールをこよなく愛し、元画家志望という異色の経歴を持つNAOTOは、北海道札幌市に生まれます。
幼少の頃は、大好きなドラゴンボールの影響から漫画を描き始め、授業中でもノートや教科書に漫画を描いてしまうような漫画大好き少年であったが、同じく外遊びも大好きで、小学5年生の頃からバスケットボールを始めます。その後中学高校とバスケットボール部に所属し、その間も漫画を軸に絵を書く事が大好きなNAOTOは、スポーツと絵を書く事を両立しながら青春時代を過ごします。
そして高校時代によくテレビで放送されていた、「ムツゴロウとゆかいな仲間たち」に多大な影響を受け、将来は牧場で働く事を夢見るようになります。
浪人をするものの、酪農大学に合格する事ができ、彼は夢に一歩近づく事になります。 -
牧場アレルギーと画家への挑戦
しかし大学2年生の夏休みに、牧場経営の夢を見るNAOTOにある大問題が発覚します。酪農実習で住み込みで働いていたところ、止まらない鼻水、目のかゆみ、咳の症状に見舞われ、病院で診断してもらった結果、彼は「牧草アレルギー」だったのです。
半年ほど進路を悩み、大学は2年で中退することを決断したNAOTOは、牧場で働く事を諦める事になります。
そして昔から得意だった絵を仕事にしたいと思うようになり、画家として生計を立てる事を目指し始めます。とはいえいきなり絵で稼ぐことが出来ない為、どうしようかとアルバイトを探していた所、知床で住み込みで観光写真を撮影する、という仕事を見つけます。撮影経験はないものの興味があり応募したところ採用になり、彼はしばらく知床で働く事になります。
そこは観光地で観光客の集合写真やスナップを撮影する仕事で、NAOTOは初めてカメラや現像について学びます。この時初めて自分でカメラを購入し、仕事以外は道東の大自然を撮影したり、絵を描く、という日々を約半年送ります。
その後も、様々なアルバイトをしながら絵を描き続けた彼は、美術館によく通うようになり、ゴッホなどの印象派の絵に強い影響を受けます。そしてやがて内面的な感情や精神性、形や色彩の構成を重視するような、抽象画を書き始めます。
公募展に応募したり、個展を開催したりと、なんとかして画家への道を切り開こうと絵を書き続けます。そして24歳になったNAOTOは、ちゃんとした結果が出なければ絵をやめるという決意で、最後の個展を行います。しかし結局思うような成果が出せず彼は画家の道を断念します。 -
写真家としての転機と独立
その後趣味で写真を撮影し続けた事を思いだし、NAOTOは遂に写真撮影の仕事に就く事を決意します。それは「心の内面を描く」抽象画とは真逆の、「心の外側を切り取る」という、これまでの人生とは対照的な道を選ぶ事になりました。
その後25歳から写真館で勤めはじめ、記念写真全般、学校の卒業アルバム撮影、結婚式撮影などを経験し、30歳で写真家として独立をします。