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Profile

北海道出身

Nami / Nami Sato

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「家族や仲間の支えがあってこれまでやってこれました」と、周囲への感謝の気持ちが撮影の原動力と話すNamiは、しっかりとした撮影の基礎技術を裏付けとして、女性らしい柔らかい写真の中に、鋭い美的感覚の撮影技術を織り交ぜ、国内に限らず海外からのお客様からも大人気です。

略歴
北海道天塩町生まれ
小中とバレーボールの部活に励み、
高校でアラスカに留学し
大学では北京の大学に進学
堅実に撮影技術を習得し
2021年より独立し、フリーランスの写真家へ

趣味 / Favorit
旅行、漫画、最近ギターを始めた

使用機材
Fuji film システム


Story

  • バレーボールと留学、写真との出会い

    堅実に、そして着実に撮影スキルを磨き、多言語話者でもあるNamiは、北海道の北端にほど近い、天塩町に生まれます。

    自然豊かな小さな町でのびのびと育ったNamiは、外を元気に駆け回り、テレビの世界旅行やドキュメンタリー番組を好んで見たりしながら、活発な子供時代を過ごします。
    そして両親の影響で小学生からバレーボールを始め、中学3年に引退するまでバレーボール中心の日々を送ります。

    その後高校に進学したNamiは、スポーツ以外の何かに挑戦したいと思うようになります。そして生徒会を一年経験した後に、天塩町の姉妹都市交流事業の一環として募集していた、交換留学生としてアラスカへの留学を決意します。その際に知人が「アラスカで沢山写真を撮っておいで」と、使い捨てではないフイルムカメラを貸してくれる事になり、これがNamiにとっての写真撮影との初めての出会いとなりました。

    北海道から遠く離れたアラスカで、全く言葉が分からず初日からホームシックになり、英語ができなくても参加できそうと思い、バレーボール部に入部します。補欠メンバーとして州大会に出場したりと、親切なチームメイトや友人に恵まれ、徐々に英語も理解できるようになり充実した留学生活を送ります。

  • 北京での学生生活と「なるようになる」精神

    半年後、アラスカから地元に戻ったNamiは、すぐに進路の問題に直面します。色々と考えた末に、当時発展途上で物価が安く、留学生は入試が免除されていた、中国の首都北京にある大学への進学を決めます。北京では文化の違いに戸惑いつつも、下宿先の中国人女性と親子さながらの関係を築くなど、気付いた頃にはすっかり中国に馴染みます。
    そしてNamiはお父さんに買ってもらった富士フィルムのデジタルカメラを片手に、中国の様々な場所を旅行をして、写真を撮ったりしながら学生生活を楽しみます。
    現在の慎重さとは裏腹に、当時は行き当たりばったりで度胸があった、と話すNamiは、学生生活の中で「なるようになる」という、マインドを身につけます。

    大学卒業後は上京し、都内で一旦就職をします。再び海外に行こうと貯金に励んでいた矢先に、偶然ブライダル撮影の求人を目にしたNamiは、自分が知っていた結婚写真とは全く異なる世界感に、大きな感銘を受けます。その後、渡航用の貯金を使い初めての一眼レフとMacを購入し、子供写真館やブライダルフォトのワークショップで修行。そして大手結婚式場の写真事業部に就職し、結婚式当日撮影を中心に着実にスキルを磨きます。

  • 札幌での新たな挑戦と人気カメラマンへの道

    そして自身の結婚後、程なくして新天地を求めて札幌に移住し、少しの間フリーカメラマンとして撮影に携わるも、委託先の会社から希望もありその撮影会社に転職します。
    その後、型物撮影や和装の型付けなど、ブライダルフォトの基礎スキルを更に磨き、2021年に再びフリーランスのカメラマンになる事を決意し、現在に至ります。


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